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第29回 雨宮伊作氏、 今北文夫氏


主題: 練習帆船「海王丸」運航の実際

講師: 雨宮伊作 氏

独立行政法人 航海訓練所
教育部 企画研究課長

開催日時: 2009年9月12日(土曜日)13:00〜15:00

開催場所: 東京・夢の島マリーナ会議室

参加者: 総勢23名




<事務局からひとこと>

今回の講演は先の海王丸船長、雨宮伊作氏にお願いしました。 雨宮氏は歴代の船長の中でもヨット通として知られ、 現にヨット界との交流も多い方なので、 氏を知るヨットマンは数多いことと思われます。

ヨットに造詣の深い船長に、そのヨットマンとしての視点から 海王丸を説明していただけるというのは、 こういう機会ならではのことだと自負しています。

海王丸と我々のヨットとの共通点は 両者がセールで走るということでしょうが、 大きな違いもあります。 その最大の相違点は「船のサイズの違い」であり、「帆装の違い」にあると思われます。

そんな巨大な「船」であると同時に、「複雑な帆装」を装備する海王丸の、 主に運用面についてお聞きできたら、と考えています。

具体的な質問としては:

<大型>という観点から
アンカーの使い方
エンジンの使い方
乗員が多いことの長所短所、組織としての実際
船のメンテナンスの実際

<帆装の違い>という観点から
展帆、縮帆の順序、方法
風速、風向と使用セールの関係
我々の知らないセールとその使い方
帆を増やす時はまだしも、減ずる時のタイミング
(例えば、風速20m/秒、30m/秒、あるいはそれ以上でも帆走は可能なのか。 帆走不可能となった以後の対処方法。 そんな状況でも縮帆するときはクルーがマストに登るのか、など)
そもそも、艇(船)速は何ノットぐらい出るのか
海王丸のポーラダイアグラムは存在するのか
ヒーブツーは有効か、その方法は
ヘルムの感覚、コツは
帆船のセーリングの特徴
帆船のタッキングの方法
帆装のメンテナンスの実際

などを考えています。


<講師のプロフィール>

雨宮伊作

1957年山梨県甲府市に生まれ、小学校4年生からは東京で育つ。当時岩波書店から 翻訳出版が開始されたアーサー・ランサム全集「ツバメ号とアマゾン号」シリーズ に強い影響を受け、帆船とその航海に興味を持つ。

1980年東京商船大学航海学科卒業、航海訓練所助手として採用され、練習船進徳丸 次席三等航海士を皮切りに各練習船に航海士として乗船した。

このうち練習帆船には、10年の乗船履歴があり、初代日本丸で実習生、三等航海士 として過ごしたのち、1985年、就航直後の新日本丸に次席二等航海士として乗船し て、太平洋上での帆走性能測定実船実験とその解析に従事した。

この結果を確認するために実施された、 大阪大学工学部における日本丸の1/75模型を使用した風洞試 験等を通じて、大阪大学工学部多田納久義先生、現北海道大学水産学部芳村康男先 生(当時住友重機械工業平塚研究所)の薫陶を受ける。

1989年に就航した海王丸には次席一等航海士、一等航海士、航海科専任教官、とし て乗船し、2006年からは二年間にわたり船長を務めた。

現在は独立行政法人航海訓 練所、教育部企画研究課長として、陸に上がったカッパと化しながら、より優秀な 船員を教育訓練していくために日夜辛酸をなめている。

「ヨットの科学」歴代講師には、野本謙作先生はじめ尊敬する諸先生がたがおられ ることを知り、その任に耐えられるか自信がないが、今回の講演では、過去17回帆 船で太平洋を横断した経験に基づいて、大型練習帆船の遠洋航海を紹介しながら、 帆走方法や帆装艤装、荒天航海やタッキング等の操船法についてお話してみたい。





主題: ヨット関係船舶検査法令の最新情報

講師: 今北 文夫 氏

財団法人日本海事協会常務理事

開催日時: 2009年9月12日(土曜日)15:00〜16:00

開催場所: 東京・夢の島マリーナ会議室

参加者: 総勢23名

<講演内容>

前第28回「ヨットの科学」で講演いただいた 「ヨット関係船舶検査法令の最新情報」の続編


<講師のプロフィール>

今北文夫(いまきたふみお)

昭和20年生まれ、東京都文京区出身
昭和39年4月:横浜国立大学造船工学科入学

昭和39年:22フィートスループ「応竜」のクルーとなり、 吉谷龍一先生の教えを受けると共に、 先生の教え子であった武市俊氏率いる シレナグループメンバーの指導を受ける。

昭和40年:(社)日本造船学会((社)日本船舶海洋工学会)に入会。 同年:熊澤舟艇研究室に所属、熊澤時寛氏から技術指導を受ける。 一方渡辺修治氏に誘われ、NORCの計測委員となる。

昭和43年3月:横浜国立大学卒業。熊澤舟艇研究室に所属するも、 大学の理解得られず、造船所への就職の勧告を受ける。 国家公務員試験を受ける。

昭和44年4月:運輸省船舶局入省、休日は熊澤舟艇研究室の設計の手伝いを行い、 又戸田邦司氏のヨット設計の手伝いも行う。 この間、1年〜3年毎に転勤、地方勤務・海外勤務が有るが、 ヨットの計測の手伝いを引き続き実施。

平成8年7月:海上保安庁船舶課長を最後に退官、 (財)日本海事協会に転職、総務部長、企画部長を経て、現在に至る。



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