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第36回 瓜生 昭一 氏


主題: ニュージャパンヨット(NJY)社の歴史

講師: 瓜生 昭一 氏 (ニュージャパンヨット社長)

開催日時: 2013年2月23日(土曜日)13:00〜15:00

開催場所: 東京・夢の島マリーナ会議室

参加者: 総勢17名




<講師の自己紹介>

1941年 日本は英米に宣戦布告太平洋戦争に突入。 この年アメリカでは最初のFRP製ボートがモールドを使用して誕生した。 なぜか私も同年東京で生まれた。

子供の頃は疎開先信州の山中を空腹を抱え走り回って育った。 食料、物資、情報あらゆるものが不足した時代、 親が唯一買ってくれたのが本であった。 それは少年向け冒険小説、トムソーヤーの冒険、 ロビンソンクルーソー、15少年漂流記などであった。 なかでも15少年漂流記は擦り切れるまで何度も繰り返し読んだ。 少年たちだけで帆船を操り、嵐の海をはるか無人島にたどり着く。 子供心を甚く刺激し、 いつか自分も帆船で外洋を航海してみたいと考えるようになっていた。

時は流れ、人並みに社会人になっても想いは変わらず、 ある日購読していた舵誌に初めてヨット関連の求人広告が掲載された。 迷うことなく応募、結果は応募者多数で敢えなく落選だった。 だが、ここで怯まず社長に直訴状を書き、 東京駅のステーションホテルで面接を受けなんとか採用された。 1967年1月、三重県伊勢市にあったヨットを製造する ニュージャパンマリン株式会社に職を得た。

会社の主力製品はマリン合板で30フィートから 45フィートまでの巡航型トリマランや同じくマリン合板で 26フィートのモノハルスループのセーリングクルーザー、 サンダーバード26を製造し主に対米輸出していた。 だが当時の日本は第二次高度経済成長期、 工賃の高騰やコンテナー化が進み、 貨物船はトリマランのような不経済な形状の貨物を乗せるスペースがなくなり 船待ちで数ヶ月も埠頭に野ざらしにされることが多くなった。 そこで会社は輸出ヨットから国内市場に主力事業を転換しようとしていた。 それもプラスチック製ヨットだと言う。
だが1969年になって状況は一変した。

以下NJYの歴史へ


<ニュージャパンヨット(NJY)社の歴史>

1969年突然会社は地元の事業家に譲渡することになり ヨットは見切りをつけ製造しないという。 社長は私にインペリアル23は引続き伊勢で製造するから 日本市場向けに販売したらどうかと問われ、 先立つものはないがまた失敗しても失うものは何もないから やってみようかと決心した。

1969年11月国産FRPヨットを販売目的で ニュージャパンヨットセールス株式会社を設立し開業した。


国産FRPヨットの販売

フランス艇の輸入販売
 Samorai

アンダーライセンスによりフランス艇の製造開始
 Ecume de mer
 Samorai
 Aikido
 Reve de mer

イタリア艇の製造
 Pasatore
 Grand soleil

この間は国内市場向けにオリジナル艇の設計依頼
 SOLEIL LEVANT の製造販売
 Lune de mai ミクロクラス
 Vent de fete 
 Libeccio
 Esprit du vent
 Cybelle325
 Loup de mer
 Love me tender
 Yamaha
 B&C37
 GT-TUG20

国産ウインチの開発
1975年〜1990年代前半まで、地元のアルミホイールメーカーと組んで シートウインチの開発を行った。 カナダ、アメリカを始めオーストラリア、南ア、 イギリスなどヨーロッパ諸国へ輸出し、アメリカのSAIL誌等にも 積極的に広告を打って先が明るくなると、 強烈な円高に見舞われ敢え無く敗退。

その他ヨット製造を継続するために、 マリンパーツやRVパーツの輸入販売を手がけ、 ヨット製造の技術を生かしキャンピングカーなどの製造で 糊口を凌いでいるのが現状です。


<講演概容>

国産FRPヨットの最盛期

世界のFRPヨットの黎明期
1950年〜1960年
Henri Amel〔仏〕などメス型を使用してFRP量産ヨットの製造を開始、 1960年以降またたく間に全世界に広まる。
 
日本でも国産FRPヨットの製造が始まる
1960年代後半
相次ぐ製品の不良に苦労するもヨットと共に生活できる喜びを満喫した日々。

エキュムドメール製造に関する技術援助契約締結
1970年代
CNSO (Constructions Nautiques du Sud-Ouest)や Chantiers Mallardフランスの造船所での体験談。 どうしても知りたかったプラグ造りの工法が解決したことなどなど、、

オリジナルデザインによるFRPヨット、ボートの製造
1975年以降
 パピヨン 7.82m
 ソレイユルボン 8m
 バンドフェット 9m
 リベッチオ 8m
 エスプリデュバン 9m
 ルードメール 7.05m
 ラブミーテンダー 3.6m

開発、量産、販売に関するすべて、
全長8mのセーリングクルーザーを4日で1隻製造していた話、 それでも春先の注文で納期は10月以降などなど、、

1990年以降のFRPヨット業界事情
バブル景気崩壊以降、いやその少し前から状況はすこしずつ変化していたのだ、 新艇を出しても反応がにぶい、遊びの多様化によるヨット離れ、 円高による黒船の襲来、櫛の歯が欠けるように廃業、撤退する同業者、、
 
日本でセールボート製造の専業は成り立つか
マスプロダクションヨットの功罪、ユーザーの意識変化など



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